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Splendid Valley English School / Palubari. Kathmandu , Nepal





〜 "Nagarkot から Sankhu へ" 〜




この半日ほどの行程は まさに "トレッキング " と呼べるものだった




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すれ違う人々に 道を確認しては山道をどんどん下って行く




遠くにカドマンドゥの街を望み 山深い谷間を越え



いくつかの村々を 通り抜けた





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まさにマイペース




谷に流れる新鮮な空気を 胸一杯に吸いながら



ふもとの街へと向かってゆく




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〜 Palubari 〜




Sankhu の街から 2,3km 手前になるのか



この名も知らなかった村で 不思議な出逢いがあった










すれ違ったおじさんに Sankhu はもうすぐだと教えてもらい


その残りの道程を 踏みしめるように歩いていると ちょうど一つの小さな村に差し掛かった





" 何だか 懐かしい光景 "




まるで昔の自分が過ごした世界に タイムスリップしたような気持ちになってしまう




そんな時 何処からともなく 子供達の声が聞こえてきた


どうも近くに学校があるらしい




通りをそのまま進んで行くと まさにその声の発する場所に辿り着いた





Splendid Valley English School





ブロック塀で造られた 質素な建物



通りに面する部分に壁はなく 外から授業の様子を自由に窺うことができる


気になってちょっと覗いてみると 建物の中で授業をしている先生に声を掛けられた




" Mr. Basudev Kafle "




彼はこの学校の 校長先生だった





彼に誘われるがまま 学校の中へ入って行くと そのまま教壇の横に招かれた


何やら 授業に先生として参加することになったらしい




子供達の質問に英語で答え


Kafle先生が 子供達に質問を投げかけ 子供達からの返答にコメントする


そして 教室の子供達と記念撮影をして 次の教室へと移り同じ事を繰り返す




きっと 客人が来れば いつも そうしているのだろう



全ての教室を巡り終え 最後に校長室にて学校の説明を受けた後


結局 そのまま ここでお昼を頂くことになった




〜 小さな器に入ったドライライスとカレー風味の煮物 そしてチャー (ネパール風ミルクティー) 〜




非常に質素な食事だった


だが その中に込められた 彼等の精一杯のもてなしの気持ちが 心に強く響いた




食事を済ませたあと 彼と しばらく話し込んだ




彼の住む Bhaktapur の街のこと



ここに中学と高校を付け加えて もっと学校を大きくしたいという夢



学校に訪れた日本人や欧州人の事



そして この学校に通う子供達の家庭における 貧困という現実問題


〜 子供達を学校に送り出すのが精一杯で その授業料すら払うことが出来ない大勢の親達のいる現状 〜






厳しい現実を聞かされつつも ゆったりとしたトキを過ごす自分がそこにいた




いつまでも長居するわけにもいかないので


最後に子供達にお別れを言い 学校を後にした





帰り際 校長先生と子供達に日本の鉛筆削りを送って欲しいと頼まれたので


帰国後 なんとか探し出して郵送すると すぐに喜びのメールを送ってくれた




海外から こういったメールをもらうことなど 一生に数えるくらいしかないだろう




思いも寄らず この場所が本当に忘れられない場所となってしまった





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この村での出逢いは これだけではなかった





先生達や子供達と別れ Sankhu への道を歩き進んでいると


その道端で 一人の青年が立っているのに気付いた




" 日本人の方ですか? "




突然 とびっきりの笑顔で 話しかけてくる彼



そうだと答えると 青年は心から喜んでいる様子を見せた




不思議に思い尋ねてみると 彼は独学で日本語を勉強しているらしく


日本人と話をしたくて 仕方なかったという



道端で 束の間の立ち話をした後 結局 そのまま彼の家に遊びに行くこととなった





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彼の家は 典型的なネパール農村民家といった感じだった



ジャガイモなどの穀物が干してある 一階土間の奥から 階段を上り


彼の家族の暮らす 住居スペースへと入ってゆく



靴を脱ぎ お邪魔した彼の一人部屋は 三畳ほどのシンプルな場所だった




早速 即席の日本語講座が始まり 日本語の読み書きの復習や


簡単な日本語の挨拶などを 英語まじりで教える



まさか ネパールに来て 日本語を教えることになるとは思ってもいなかった




ところで この場所で こうして彼に日本語を教えたのは 自分で三人目だという




それにしては 彼の日本語はなかなかのものだった



一人で相当 勉強したのだろう




途中 彼の母親と妹がやってきて 青年を介しての会話を楽しんだり


パンとチャーのちょっとした食事を頂いたりしていると あっという間に時は過ぎた



そして 彼ら全員から 今夜ここに泊まっていくよう強く勧められたが


残念ながら その後の予定の関係で こちらに泊まることはできなかった



でも こんな家族の優しさを受け 心の中から熱くこみ上げるものがあった




結局 数時間もここに滞在してしまい 最後に別れを惜しみながらこの民家を後にした




彼女たち二人とは家の中でお別れをし


青年とは村の端 - すなわち Sankhu への入り口 -  で別れることとなった




Sankhu が近づくにつれ 彼はとても別れが悔しそうな様子を見せている



残り少ない時間の中 二人で更に多くの話をした




日本の今の様子 ネパール国内の現状



そして彼の環境をとりまく問題



〜 村に電話が無いため 急病人が出た時


数キロ離れた Sankhuの街まで走って行かないと 医者に連絡を取ることすら出来ず


その間に助かるはずの病人すら 助けることが出来ない 〜






青年はただ この問題を共有したいと 静かにそう語った



最後に 彼と この村での再会を約束し Palubari の村を後にした




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" 絶対に オレの事 忘れるなよ "




青年が最後に残した言葉が いつまでも 心の中に響き続けた



そして あの学校の校長先生は この旅を終えた今でも


定期的に学校の様子を メールで知らせてくれる




だから  どういう訳だか


まだネパールを  あの村を 旅し続けているように思えて仕方ない





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