一人で来るはずが マヘドと2人 この地に向かっていた
〜 Al Hajjarah から Manakha へ 〜
ヨーロッパからやって来るトレッカーには 人気のあった場所だというが
さすがに 今は ほとんど人がいないことだろう
今回のイエメン旅の最後として この国の自然の中に 少しだけ身体を浸すことにした
〜 Al Hajjarah 〜
昼過ぎに村に辿り着いた後 少し休憩をとり旧市街地を散策した
宿でたまたま知り合った村の青年の話によると
この村の旧市街は かつてアラブ人の住む地区と ユダヤ人の住む地区の2つに分かれており
旧市街の中でも丘の下方に広がる そのユダヤ人地区の人々は
イスラエル建国後 彼の国に移り住み 替わりに今ではまったく異なる人々がそこに住み着いているという
今でも 建物にユダヤ文化の面影が残るというその地区にも 後で訪れることにした
高地のため 雲に覆い隠された旧アラブ人地区市街より
雲間から 時おり眼下に見える旧ユダヤ人地区の建物を眺めていると
何とも不思議な気持ちになった
旧アラブ人地区は かなり込み入った造りになっており
ちょっとした迷路を歩く気分を味わえた
〜 通りで すれ違う多くの人々 〜
ある者は不思議そうにこちらを見つめ ある者は話しかけてくる
人がいるということで この地区も生きているのだとふと思った
しばらく丘の上の旧アラブ人地区を巡った後 旧ユダヤ人地区へと足を踏み入れる
- 何と さみしい街並みなのだろう -
時折降り出す雨の所為もあり
人々が 誰も歩いていないこともあり
一層 この地区の姿を 何とも寂しいものにさせていた
旧ユダヤ人地区を巡り終え 旧市街の外にある宿へと戻る頃には
雨は本降りになっていた
それにしても 村の子供達の行動には 少し辛い思いをした
〜 こちらを見付けるなりヤジを飛ばす者 石を投げてくる者 〜
英語の分かる人に話を聞くと 日本がアメリカの味方をした事に対する行動のようだった
もしかしたら 同じ宿にアメリカ人が宿泊していた事も理由の一つかもしれない
何だか 切ない気持ちにもなった
一方 大人はというと 意外にも非常に冷静で まさに紳士的としか言いようがなかった
夜 宿に多くの大人達が集まり 議論する
〜 なぜ スペインは攻撃から下りたのか 〜
ある者が バチカンが反対を表明した影響ではないかと語り 皆も賛同する
〜 フセインは 本当に悪なのか 〜
それについての意見はまとまらなかった
しかし この度のアメリカの攻撃について 皆の意見は一致していた
理由は何か
" フセインは悪党かもしれない しかし彼が今回 一体何をしたってんだ "
" アメリカに対して 何をしたってんだ "
前回の時のように 別の国を攻めることもなく
国連の査察すら受け入れた
もしかしたら 大量破壊兵器とやらを持っているかもしれないが
彼は それを使って何もしていないじゃないか
" フセインが 何をしたってんだ "
だから 我々はこの攻撃に反対する
この結論には 非常に説得力を感じた
でも 彼らにとって どうしても納得のいかない事があった
〜 どうして 日本はこの戦いに参加するのか 〜
彼らにとって日本とは 憧れであり 仲間であるはずだった
" その国の大統領が 今回の攻撃に対し 真っ先に賛成を表明し
その国の軍隊もが 彼らの同胞の国へ攻めようしている "
この理由を 彼らは知る由もなかった
その後も この疑問をぶつけられる場面に 数多く出くわすこととなる
翌日 念願の山岳トレッキングへ出かけることにした
ガイドは 宿に出入りしていた老人モハメッド
昨日 この宿へ来る途中 Manakha から彼を村まで乗せた事もあり
まさに 地元民料金でお供してくれる事となった
〜 Al-Hajjarah - Jabal Shibam - Al-'Ayn - Al-Huthayb - Manakha 〜
目的地の村へは マヘドが車で迎えに来てくれるということになり
イエメン式の朝食を取った後 モハメッドと2人 宿を出発した
ところで イエメン入国時に出逢ったという あのアメリカ人宿泊者は
こっそりと一目を忍ぶように いつの間にか宿を後にしていた
- アラビア語を自由自在に操れる彼 -
そんな彼も アメリカ国籍を持つということだけで 容易に旅をする事すらままならないのだろう
それにしても 地元民の歩くスピードは速い
"ゆっくり ゆっくりとね" と言いながら 岩だらけのトレック道をすたすたと早足で進んでゆく老人
自分一人だったら どれが道なのかすら 分からない
そんな道が 今回モハメッドの選んだコースだった
岩山を幾つか越え 途中偶然出会った彼の孫達と 束の間の会話を楽しみ
道すがらにあった村に立ち寄り そこに住むモハメッドの娘婿の家でお茶を頂く
暑い最中 手にしたペットボトルの水を2人で分け合い
お互いの国の事などを語り合いながらひたすら道を進む 約4時間のトレッキングコース
歩きながら 果てしなく広がる大地や 遠くに見える村々を眺める事も楽しかったが
それより モハメッドと過ごしたひとときが幸せでならなかった
"老人モハメッドと その子供・孫たち "
大勢の家族や親戚たちに囲まれ 彼はとても幸せなのだろう
トレッキングコース途中の村々に住む 家族達を紹介するときの 彼の嬉しそうな表情に
本当にこの場所に来てよかったと思えた
トレッキングを終え モハメッドと別れた後 マヘドと2人再び San'a へと戻った
これで マヘドとも 本当にお別れ
戻ってきた宿の前で別れる際 遠くを見つめ 彼は静かにこうつぶやいた
〜 ヤーバーニー (日本人) ... 〜
彼は 共に過ごした時間を どのように感じてくれたのだろうか
そして 生涯唯一とも思える今回の旅は 終わりを告げようとしていた
あと少し早くとも あと少し遅くとも 今回のような旅は経験出来ないであろう
中東の地に 彼らによる平和が訪れ
再び彼らが我々を 歓迎する時が来たならば
もう一度 このアラブの地を ゆっくりと訪れたいと思う